【読書197】不連続の世界

不連続の世界」(恩田陸/幻冬舎)

中性的な雰囲気で捉えどころのない音楽プロデューサー多聞を主人公に、時代を変え、場所を変え、トラベルミステリーのエッセンスを加えたセミオカルトな短編が5編が収録されている。

◆木守り男
まだ二十代だろう、多聞と友人たち、それに大学時代の先輩で知人の放送作家
散歩コースにしている川縁の道で、この放送作家から「コモリオトコ」という単語を聞いた多聞は、木の上に妖怪のような音がいるのを目にする。
時は折しもバブル崩壊の前夜。彼は妖怪にあったのかもしれない。

■悪魔を憐れむ歌
死へ導く歌、そんな都市伝説のようなうわさ話を追いかけて、多聞はN県の山奥の旧家にたどり着く。
朗らかに出迎える元数学教師で地元の名士の男。
歌声の主は彼の行方不明となった娘だという。
仄暗い雰囲気で、館モノミステリーのような本作は5作中で一番怖い。

■幻影キネマ
新人ミュージシャンのPV撮影のために訪れた瀬戸内のH県O市。
多聞はメンバーの一人の怯えに気付く。
「この街で、映画の撮影現場に出くわすと、近しい人が死ぬ。」
赤い犬の映画、トラウマ、事実、思い込み。
記憶が作り出す妄想なのかもしれないが、非常にグロテスクで、エグい。

砂丘ピクニック
フランス文学者の文章の中にある「砂丘が消えた」という記述。その謎を追って多聞と楠巴はT県までやってきた。
幻想文学の種明かしをするようで、ほんの少しだけナンセンスなテーマだが、悪意も他意もなく、すんなり読める。

■夜明けのガスパール
夜行列車で四国を目指しながら、怪談話に興じる…。それも多聞をはじめいい歳のおっさん四人で、だ。
主人公であるはずの多聞が、見張られているような、疑われているような違和感。
一年前から行方不明となった妻の、送ってくる手紙を手に、多聞らはアルコールを酌み交わし、やがて夜が明ける。

恩田陸さんは、気の合わない作家さんだな、と思う。
ストーリーや、雰囲気、人物や舞台の設定はとっても好きなんだけど、オチが気に入らなくて、読了後に残念な気分が残る。
本作もずっと楽しく読んでいたのに、最終話の「夜明けのガスパール」でがっかりしてしまった。
多聞にはひょうひょうと、柳のようであってほしいと思ったのは、読者である自分の勝手な都合であることは分かっているんだけど。

【読書196】壊れた脳 生存する知

壊れた脳 生存する知」(山田規畝子/角川ソフィア文庫)

病をきっかけとして、性格、人格が変わってしまう・・・。都市伝説のように稀に聞く話だが、そのようなことは実際あるのだろう。
アルツハイマーをはじめとする認知症や、脳の病気、怪我など原因とされるのは様々であるが、原因となる疾患の一つが本書の著者も患う高機能脳障害である。
本書はもやもや病という脳血管障害から三度の脳出血を起こし、高機能脳障害となった医師によってかかれた、患者としての体験談であり、患者視点での分析の書である。

脳出血後の後遺症として、想像しやすいのは麻痺や言語障害などだろうか。
実際の後遺症は損傷をうけた部位によって様々であり、筆者の場合は、靴の前後がわからなくなり、時計は読めない、さらには世界の左半分を喪失してしまう。

一方で、言語系の能力はなんとか持ちこたえたようで、それ故にまた別の問題に直面することとなる。

猛然としゃべりだした私の症状は、いわゆる「ハイパーラリア」と呼ばれるものではなかっただろうか。
ハイパーラリア、脳の右半球が損傷を受けた場合に生じる、とりとめのない言葉の自走である。それが落ち着いた後も、
その後もいろいろな場面で、私は何事も都合のいいように解釈する人間になっていた。そうでないとスピーディに反応できないことがたくさんあった。相手の話す内容は、早く答えようとするあまり、知らず知らずのうちに自分の理解しやすい内容に歪曲されていった。
しかし場合によっては歪曲しながら、本人はその事実と異なる内容を事実と信じてしまう。
高次脳機能障害の場合、認知症と明らかに違うのは、「自分が誰だかを知っている」という点だ。客観的に自分を見つめることができるのだ。それに加えて、自分の行動にもかなりの自覚がある。
曲解の世界にいながら、己がおかしいことがわかる。病識のある虚言癖のようである。
普通の状態と異常な状態が混在することで、一緒にいる人間は非常に混乱するだろう。
それこそ、患者の人格が壊れたと思うかもしれない。

実際に読み進めていくと、二度目の脳溢血であった33歳から三度目の脳出血を起こす37歳までの間に書かれたもの、三度目の脳出血のあとに書かれたもので、だいぶ異なった印象であった。
37歳より前のものは、障害はあっても快活でキレのよさを感じるが、37歳以降のものは、何度もなんども同じことを繰り返してようやく結論にたどり着くようなまどろっこしさだ。

独学を続けるうちに、病気になったことを「科学する楽しさ」にすりかえた。自分の障害を客観的に面白がれるようになれば、こっちのものだ。これまでやってきた数々の失敗も、理由がわかると「なあんだ、そういうことか」と気が楽になる。
リハビリを続け、社会復帰を果たし、しかしまた病に倒れ、より重篤な障害を負う。
生活がある程度落ち着いたタイミングでの再発作に、望みを断たれても、彼女には助けてくれる身内がおり、息子がおり、なにより彼女自身の知的好奇心があった。
独学を続けたことは、自分のために他ならなかったのかもしれない。
しかし、こうして書かれた書を読むと、それが彼女に与えられた試練であるかのような、宿命的なものを感じずにはいられない。

【読書195】羆撃ち

羆撃ち
(久保俊治/小学館/ひたちなか市立図書館書蔵)

猟師の登場する話、猟師を描いた話を読んだことはあるが、猟師自身が一人称で書いた文章は初めてである。
兼業ではなく専業、しかも羆を専門とする日本で唯一のハンター。
不思議なプロファイルである。短大を卒業後、20代で日本で唯一の羆ハンターとなり、その後渡米。ハンティングガイドを育成するスクールに学び、一度はアメリカでハンターとして就業したものの、ビザの関係で帰国し、その後は牧場を営む傍らの猟に従事する。
本書には描かれていないが、後に結婚し二女を設ける。

主観に寄れば、時間の流れは一定ではない。
集中力が高まるあまりに、数秒をとても長く感じることもあれば、あっという間に過ぎ去ることもある。

動と静。
それをこんなにも感じる文章があろうとは。

耳が痛くなるほどの静寂と、早鐘を打つような鼓動。銃声。そして、時の流れが戻ってくる感覚。
それら、経験者しか感じ得ないはずの情動を、文字を追うごとに、我が身のことのように感じさせる文章。見事としか言いようがない。

本書の内容とは無関係に非常に印象に残ったシーンがある。
追跡の末に羆を視界にとらえたものの、射程外という距離で、音を立てずに近づくために気温が上がるのを待つ場面である。
注視すると羆もなんとなくこちらを見るので、慌てて目をそらす。背中を木にもたせかけ、できるだけ楽な姿勢で見るともなく半目にしていると、羆もこちらを向かない。目を見開くよりも半目にしておくほうが、相手の動きなどもよく見える。(60ページ)


この「半目にする」というくだり、実は以前に読んだ「壊れた脳 生存する知」に全く同じことが書かれていたのだ。
方や、羆を追うハンター、方やモヤモヤ病から脳溢血、高次脳障害を患った医師。
全く異なるプロフィールなのに、同じ手法にたどり着く。
半目にし、視界からの情報を制限するというのは、ある種の見方をする上ではとても大切なのかもしれない。

【HM】帽子とポシェット

カバンブームがきた子のためにポシェットを作りました。
半円形でマチが2cmの蓋つきです。肩紐は普通の綿紐。

もう少ししたらボタンの練習にもなるように、大きめのボタン、大きめのボタンホールにしてあります。
気に入ったのか、気づくと装着したり、中にクレヨンをいれたり。

もう一つ。日差しが激しくなってきたので帽子を。
昨年使っていた帽子がすでにキツかったので。頭大きい。

パンツでも作ろうと思って買ったグリーンの織生地と、ペンギンのダブルガーゼ、裏はコットンで、ペンギンのボタンもついています。

型紙は大人用のものを縮小しました。

頭囲58cmの型紙を頭囲50cmに補正したので×0.9です。
もう少しつばが広くても良かったかな。次回の課題、ということで。

最近、この「ベビーコロール ベーシック・アソート 12色」への食いつきっぷりが半端じゃないです。

重ねてよし、書いてよし、指にはめてよし、箱や袋に入れてよし、でずーっとこれを触っている感じです。