【読書194】壊れたおねえさんは、好きですか?

壊れたおねえさんは、好きですか?」(中村うさぎ/文芸春秋)

仕事も金もあるし、パートナーも、友人もいる。
だけど、自分には性的魅力がない?!
フェロモン、性欲、性的趣向。下ネタ満載のぶった切りエッセイ集だ。

整形やホスト通いといった行動、本作に描かれる性的なものへの考察は、性的魅力がない、というよりも、性的対象から外れていくことへの焦燥感を感じる。
加齢、閉経、更年期といった言葉がリアルさを増して、だがもう初老だし!と開き直るには微妙な年齢。
同じような焦燥感を抱く妙齢の女性は多いのではなだろうか。

テーマがテーマだけに読み手を選ぶ。本書に眉をしかめる人も多いだろう。
なんたって、枯れかけのおばちゃんの生々しい性の話なのである。
正直、私はちょっと気持ち悪い。

なかなか面白かったのは、醜悪コンプレックスの人魚姫考察だ。
魚の足という「醜い」容姿の自分。その醜さを捨てて、王子にアタックしようにも、かりそめの姿に声を失い、やがては自分か相手どちらかの命を捧げる羽目になる。

自己嫌悪を他者への恨みにすりかえなかった人魚姫はえらい
もし、人魚姫が、人魚の姿のまま王子にアタックしたら、ハッピーエンドはあったのだろうか。

【読書193】黄泉坂の娘たち

黄泉坂の娘たち」(仁木英之/角川書店/ひたちなか市立図書館書蔵)

現世と狭間にある黄泉坂。
現世への執着心から坂を越えられず、変調をきたした魂はやがてマヨイダマとなってしまう。
そこで無念の魂が現世の障りとならぬように、無念を断ち切り黄泉坂を超える手伝いをする者たちがあった。

黄泉坂シリーズ2作目。
黄泉坂案内人の仕事の紹介の裏で黄泉坂の存続問題に揺れていた前作とは異なり、本作の黄泉坂は最初から大きな問題に直面している。
天災や災害では通常では考えられないほどの死者が出た時、どうするかということだ。
津波の描写から始まる本作が東日本大震災を受けて書かれたのは疑いようがない。
日本という国に限っても何度か異常な数の死者、というのはあった。
その度に黄泉坂は延びて、越えるのが難しくなっているという。

そしてもう一つ。
黄泉坂において、妖でもマヨイダマでも神でもない、中途半端な存在になってしまった速人と彩音が今後、どう生きるかということだ。

それぞれの話を人情話として楽しめた前作と異なり、この二つのテーマが大きいが故に、それぞれの話を単品として楽しむことが難しい。
彩音のカウンターパートであるはずのやよいの影が薄くなってしまっているのが残念だ。やよいのペアとなった先代さまだけいれば、やよいがいなくても良い気すらするレベルである。

わがままを言うならば、先に述べた二つの主題を、それぞれ一冊、いや、天災の話にいたっては二冊分くらいのボリュームで読みたかったなぁ。

【読書192】ゴーストハント 7 扉を開けて

ゴーストハント 7 扉を開けて」(小野不由美/幽BOOKS/ひたちなか市立図書館書蔵)

思うにゴーストハントシリーズは、大きく二つに分けられる。学校の怪談、と、館の怪談である。
最終巻である本作は、学校を舞台にした館の怪談、といえるのではないだろうか。

6巻、能登からの帰り道、一行は迷い込んだ長野の山中でダムにぶち当たる。
と、突然、ナルはSPRの解散を宣言するのだ。
付近のキャンプ場に宿を構え、ダムを調査中、今度は地元自治体からSPRへ対して心霊調査の依頼が舞い込む。
調査の対象となるのは廃校となった学校だった。

突然の豪雨に雨宿りのつもりで入り込んだ校舎に閉じ込められる。
1人、また1人とかけていくメンバー。残された者は、違和感を感じながらもそのことに気づけない。
比較的、新しい霊であるが、新しいがゆえだろうか。なんとも悪知恵が働く相手である。

不幸な事故。
助けたかった子供たちの死を目前にしながら、何もできない無力感。
思い入れの強さ、無念さ、そしてなによりも、こうありたかったという幸せへの希望が、彼を凶悪な霊へと変えてしまったという理不尽。
最期に残された麻依は、夢でのナルの導きで彼の救済へと挑む。

と、ここまではいつものゴーストハントであるが、本巻にはもう一つ謎が残されている。
ナルがダムの底に探しているものはなんなのか。そしてナルの正体はなんなのか、である。

麻依の片恋の相手はナルではなく、無意識の世界で自分を導いてくれたユージーンであることが明らかとなる。
だけど、それは本当に、ジーンなんだろうか。
好きだった人が実は双子で、死んだ兄の方だと言われてそんなに簡単に割り切れるものなのかなぁ。
普通に考えて、夢の相手よりも、現実の方が大きい。なんだかちょっと、納得できない思いが残った。

【読書191】ゴーストハント6 海からくるもの

ゴーストハント6 海からくるもの」(小野不由美/幽BOOKS/ひたちなか市立図書館書蔵)

「代替わりの時に、死人が続く」。
能登の海の近傍に佇み、一族で会員制の料亭を営む吉見家には、そんな呪いが言い伝えられていた。
先代のときも、先先代の時も、多くが死んだ。そして今また、代替わりの時なのである、と。

知っていても思わず口を閉ざさずにはいられないような、連続の不審死。
依頼を受けて能登を訪れたSPRといつものメンバーたちは、調査を進めていくうちに、呪いの歴史が古いこと。呪いのはじまりでは吉見家ではないことに気づく。

麻依の夢、文献調査からいくつかの可能性が示唆されるが、その全てが調査が困難なほど古い。
立川信仰、異人殺しの伝説、駆け落ち伝説…、民話や伝承に残る、過去の無念の気配。怪しいことが多すぎるのだ。
果たして、真犯人は何なのか。
判明したのは、かつてないほど壮大な怪異の正体だった。

本来なら探偵役となるナルが、序盤から不在となるため、いつもよりも謎解きの要素が強い。
飛び抜けてはボーサンと綾子だろうか。

怪奇の原因は、死霊ばかりではない。
生者の思惑や意図せぬ超能力が介在している場合もあるし、もとは人であった、もはや死霊の域を超えた存在や、今回のように、流れ着いた「神」が黒幕の場合もある。
怪異のタイプも色々だ。
一匹狼タイプ、他者を喰う蠱毒、そして他者を使役するタイプ。
生きている者を殺すために殺す者、仲間にするために害するもの、結果的に障りとなってしまうもの。
当然、祓う方法も多岐に渡る。加えて、祓う能力自体も、実に様々なのだ。

そう、本巻で大活躍するのが正に、発動に特殊条件持ちでの能力者である綾子である。
そういう意味では、超能力とも通じるが、発動条件が揃わずに、己の能力に気付かぬまま、能力と決別するというパターンは多いのかもしれない。

グロテスクな描写も含めての、小野不由美ワールドを満喫できる。最終巻が楽しみである。

【読書190】迷宮レストラン

迷宮レストラン―クレオパトラから樋口一葉まで」(河合真理/日本放送出版協会)

本を読んでいて、この人はどんなものを食べていたのだろう?と疑問に思うことはないだろうか。
あるいは物語に出てくる美味しそうな料理が、実際はどんなものか想像がつかなかったり。登場人物だけではない。作家は?歴史上の偉人は?
その人の生きた時代や人生に着目した本は数あれど、食事
現代に生きる人ならば、エッセイを記していたりインタビューに答えていたり、とまだ知る機会もあるだろう。
だけど、サンタクロースは?ドラキュラは?聖徳太子は?

そんな疑問に答えてくれる、素晴らしいレシピ本が実在するなんて!

時空を超越したこのレストランには、古今東西の歴史上の人物を中心に、空想上の人物など決してお目にかかれないお客様が訪れます。
帯にそう書いてある通り、数々の人物をお客様に設定し、その人の生きた時代、故郷、文献に残る嗜好をベースに、お料理を提供する…。そんな会員制レストランをロールプレイングしたレシピ本が本書である。

そのメニューのほとんどが作者である河合シェフが考案した創作料理であるとはいえ、なぜそのようなメニューにしたのか、メニューごとに背景や材料の説明がついており楽しい。
菜食主義で有名なトルストイが、狩猟を趣味にしていた若年の頃をイメージした肉料理メニュー。
樋口一葉の鰻料理に、河童のきゅうりづくしまで。
見て楽しい、読んで面白い、もちろん食べてみたい。そんなレシピの数々である。

欲張りを言うならば、もう少し、お酒にも詳しい人だと良かったかなぁと思う。もしくはアルコールについては詳しい方の監修とするか。

文献を読んで調査して、材料を決めて揃えてメニューを考えて非常に手間のかかりそうなテーマであるから、是非また同様の企画を、その時はそれぞれの専門家何名かの共著で、と思う。

【読書189】営繕かるかや怪異譚

営繕かるかや怪異譚」(小野不由美/角川書店/ひたちなか市立図書館書蔵)

怪奇現象との共存。それはありえるのだろうか。
気にしなければいいとはいっても、気になるから怪奇なのだ。家鳴りも木の継ぎ目が軋む音、と納得してしまえばそこに妖怪や怪異の入り込む余地はない。

ただ音がする。
それだけでも気になるものなのに、何かが見えたり、あるいは実害があったらどうだろう。
もう冷静では居られまい。

古い町並みを形作る古い家屋。古い、ということはそれだけ歴史ある、ということでもある。

「営繕屋 かるかや」の主人、尾端は言う。

「人が住めばどうしたって疵が付きますからね」祥子の思考を読んだように尾端が言った。「背比べみたいに、わざと疵を残すことだってあります。良い疵もあれば悪い疵もある。古い家にはそんな疵が折り重なっているものなのですが、それこそが時を刻むということなんでしょう」(42ページ)

障りになる疵は障りにならないように直す。残していい疵はそれ以上痛まないように手当して残す。(44ページ)
祓うのでも、見るのでもなく、こちらが出て行くのでもない。
疵は疵として、原因や障りの有無をきちんと見極めて、人も怪異も、それ以上痛まぬように。

生じている怪異は、理の通じない現象なのに、理をもって対応すれば、双方にとっての着地点が見える、というのがなんとも不思議である。

奥の間にいる、居ないはずの誰か。
雨の日に道を行く喪服の女性。
部屋のどこかに隠れている老人。

現世の住人は、営繕屋は、いかにしてあちら側の世界の住人と折り合いをつけるのか。