【読書081】「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」

たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」(佐野三治/新潮文庫)
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1991年12月。国際ヨットレースに出場すべく出船し、転覆した「たか号」。
命からがら、ライフラフトに乗り込んだ彼らに残された食糧は、ビスケットが九枚、飲料水が一本。わずかそれだけである。

1月10日、12月29日の遭難より12日目。遭難生活最初の死者が出たのを皮切りに、歯が欠けるように、失われていく仲間たち。
1月16日。最期の仲間も死に、筆者である佐野さんは大海の真ん中にただ一人残される。
絶望、希望、そしてまた絶望。朦朧とする意識、幻覚・幻聴。
そして、1月25日。遭難より実に27日目のこの日、オーストラリアに向けて航行中の貨物船『マースク・サイプレス』号のクルーの目にとまり、ついに彼は発見、救助されたのである。

何故、佐野さんだけが生き残ったか。その件については、勝見医師のコメントが記載されている。

人間の体というのは、個人差があって現代医学で解明できるのは本当に僅かな部分だけです。
あえていえば、佐野さんは、自分の体の機能をうまく保てる、ホメオスタシスと言うのだけれど、恒常性維持機能が非常にある人だろうと思う。難しく言ったけれど、要するに生き残るタイプなんだね。
それに、全身の各臓器の衰弱がバランスよく起こっていたのだろう。
心臓とか、腎臓とか、どこかひとつの機能が他より異常に落ち込んでいたら助からなかったと思う。(207ページ)
他のメンバーが10日目から16日目に連続して亡くなったことを考えると、そのあたりが、人間、健康な成人男子の限界点なんだろう。
佐野さん27日間という長期の漂流に耐え、生き残ったことが奇跡的というか、脅威そのものであったのだと思う。

大海で食料もなく「海嶺」(三浦綾子)のような、大人数・試行錯誤可能な状況とは全く違う、手の打ちようのないまさに漂流。
絶望しか無いような状況の中で、生存者となった著者の記した興味深い一冊である。

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