【読書084】「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」(NHK東海村臨界事故」取材班/新潮文庫)

「おれはモルモットじゃない」(79ページ)

言葉を発した本人の気持ち、聞いた医療従事者たちの気持ちは、いかほどであったろうか。
ほとんど、知見もない中であの手この手を尽くせば、結果的に実験的になってしまう。
救いたいという気持ちが患者を苦しめる。生かそうとすればするほど、苦しみは深くなる。

1999年9月。JCOの事故が起こったその日、茨城県東海村での臨界事故の作業員の一人であり被ばくした三人のうちの一人であった大内久さん。
本書は彼の治療記録を元にしたドキュメンタリーだ。

本書が過去を記したドキュメンタリーである以上、結末を私たちはすでに知っている。
知っている結末と、描かれる直後の様子に胸が締め付けられる。

事故からわずか七日で、人工呼吸器を装着され、家族と言葉を交わすことすらできない。
ずたぼろの染色体。
移植して、根付いたはずの妹の造血幹細胞すら、わずか8日後には10%に異常が現れてしまう。
再生せずに剥がれ落ちていくだけの皮膚。

最悪の状態のなかで、一部では皮膚の再生がみられ、腸粘膜の再生が見られる。
心肺停止からの蘇生。手詰まりの中で、大内さんの身体の見せる「生命力」。

可能な治療方法がなくなり、前川医師は心肺停止になっても蘇生措置をしないことを決断する。
薬剤の限界。医療の限界。科学の限界。

彼は、事故から83日後の12月21日、多臓器不全により死亡した。

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その日、私は、茨城県日立市の某高校に通う学生だった。
事故の起こった東海村からはJRでほんの3駅である。
よく晴れた日で、中間考査の最終日で、校内には浮かれた雰囲気が漂っていた。

東海村駅を使用している生徒は会議室に集まるように校内放送があった。
「ばっくれようかな」なんて言っている知らない先輩に、たまたま遊びに来ていた卒業生が妙に神妙な顔で「いいから行け」と命じたことを覚えている。

「JCOが事故でもした?」
戻ってきた同級生の様子に、それが冗談では済まないことを知った。

その後、東日本大震災福島第一原発の事故から先月で約2年半。
ふと思い出して本書を読み返してみたものの、まとめるのに時間がかかってしまった。

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