【読書189】営繕かるかや怪異譚

営繕かるかや怪異譚」(小野不由美/角川書店/ひたちなか市立図書館書蔵)

怪奇現象との共存。それはありえるのだろうか。
気にしなければいいとはいっても、気になるから怪奇なのだ。家鳴りも木の継ぎ目が軋む音、と納得してしまえばそこに妖怪や怪異の入り込む余地はない。

ただ音がする。
それだけでも気になるものなのに、何かが見えたり、あるいは実害があったらどうだろう。
もう冷静では居られまい。

古い町並みを形作る古い家屋。古い、ということはそれだけ歴史ある、ということでもある。

「営繕屋 かるかや」の主人、尾端は言う。

「人が住めばどうしたって疵が付きますからね」祥子の思考を読んだように尾端が言った。「背比べみたいに、わざと疵を残すことだってあります。良い疵もあれば悪い疵もある。古い家にはそんな疵が折り重なっているものなのですが、それこそが時を刻むということなんでしょう」(42ページ)

障りになる疵は障りにならないように直す。残していい疵はそれ以上痛まないように手当して残す。(44ページ)
祓うのでも、見るのでもなく、こちらが出て行くのでもない。
疵は疵として、原因や障りの有無をきちんと見極めて、人も怪異も、それ以上痛まぬように。

生じている怪異は、理の通じない現象なのに、理をもって対応すれば、双方にとっての着地点が見える、というのがなんとも不思議である。

奥の間にいる、居ないはずの誰か。
雨の日に道を行く喪服の女性。
部屋のどこかに隠れている老人。

現世の住人は、営繕屋は、いかにしてあちら側の世界の住人と折り合いをつけるのか。