【読書064】「赤ちゃんは世界をどう見ているのか」

赤ちゃんは世界をどう見ているのか」(山口真美/平凡社新書)

眼があれば見えるのか?(12ページ)
第一章をひらき、一番最初の副題になっているこの疑問を解決すべく書かれた一冊。
生まれ落ちたばかりの赤子の視力は弱い。
乳幼児の視覚、またその獲得をテーマに様々な実験結果の紹介、実験の難しさなどが語られている。

印象に残ったところだけ。

●見る経験は受け身の状態では無駄なのだ。自ら積極的に環境に関わりながら見ることが、必要なのだ。(47ページ)
二匹の猫を使った実験が紹介されている。一方の猫は動ける状態、もう一方の猫は身体を固定され自由には動けない状態で、同じ景色を見せる。
動ける猫のほうが見た景色に対する学習度が高いらしい。見るという経験が、学習であると考えると、確かにと思う。


●皮質がより高度な認識や意識的な判断を行うが、皮質が働き出すのは生後数ヶ月。その間の赤子は皮質なしで生活している。(51ページ)
脳機能の柔軟性がうかがえるというべきなのか。

●動きを見ることは、形を見ることとはまったく異なる。(47ページ)
頭頂葉に障害があると、奥行きを感じられず、三次元空間を認識できない場合がある。(62ページ)
ウィリアムズ症候群では、優れたコミュニケーション能力、音楽能力を持つ者がいる一方、空間認識能力が決定的に欠如している(62ページ)
●視力や形を見る能力の発達には、見る経験が必須であるのに対して、空間を見る能力は、生まれつきの部分が大きい(62ページ)
一言に視覚といっても、様々な能力に分類されており、赤子は発育のステージごとに能力を獲得していく。
顔を見ることと表情を見ること、二次元的な視覚と三次元的な視覚は異なる。
その分類が予想以上に細かかった。
視覚が原始的な機能であると同時に高度な機能であることがうかがえる。

●母親の顔を見た時間が11〜12時間を越えると、母親の顔を好むようになる。母親の顔をみた具体的な量が、母親顔への好みを決定している。(181ページ)
母親を養育者と読み替えてもいいのだろうか。
一日の殆どを寝て過ごす新生児にとって、12時間は膨大な時間な気もするが、その後の人生を考えるとあっという間な気もする。
養育者2人以上の顔を同じ時間見た場合は場合はどうなんだろうか?それぞれの累計12時間で好みの顔になる?

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