【読書065】「冤罪 ある日、私は犯人にされた」

冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版/菅家利和/岡崎市立図書館所蔵)

なんともコメントに困る本だなぁ、というのが率直な感想である。
正直に思ったことを書いてしまうと不謹慎だと叩かれそうであるし、かといって、そこに触れずに書いても核心に触れずに終わる気がする。

1990年に起きた幼女暴行死事件、通称足利事件の犯人として翌1991年に逮捕され、2000年に刑が確定、2009年に再審が決定し、釈放された菅家利和氏の手記だ。
逮捕から取り調べ、自白、逮捕から裁判、服役、西巻糸子さんという支援者やDNA鑑定の専門的知識を有する佐藤弁護士らの協力を得て、再審決定から釈放に至るまでを当時家族や西巻さんに宛てた手紙を交えて振り返る、という構成。

事件の被害者となり、本書の執筆者でもある菅谷さん。
なんというか、オーケンのエッセイに出てきそうな方なのだ。

読んでいてまず感じるのは依存心の強さだ。
そして、なんというか、脅しに屈して自白し、大泣きしたり、菓子を買うためのお金を所望したりと、逮捕当時40代後半という年齢の割に非常に幼い感じがする。
本文中で語られる青年期のエピソードが、そのイメージに拍車をかけているのかもしれない。

自白を覆して無罪を主張してみたり、よく読まずに無罪主張は嘘ですの書面にサインしてみたり。
意志薄弱と言ってしまえばそれまでだけど、己の事なのに、しかも人生がかかっているのに、本当に大丈夫か、この人…?

何より注目すべきは、最高神の判決が出て懲罰が決定してからにある。
明らかに服役生活を通して人間的な成長が見られるのだ。
懲役には、犯罪者の隔離や長期自由が奪われることによる抑止効果を狙うこと、職業訓練によって出所後の再犯防止を図るみたいな意義があることは知識として知っているが…。
一度犯罪を犯した者にとって、場合によっては成長のチャンスとなりえる懲罰なのか。
もちろんそうゆう場合もあるんだろうが、うむむむむ…。

冤罪はいけない。彼が失った17年半は長い。
ただ、そこで思考停止するだけでは何かが違う、不思議な感じのする一冊だった。
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